Buried Alive

生き埋めになったオタクが地中での余生を綴る

大学院を休学することになりそうな話

この記事は進展があるたびに追記・改題していこうと思います。

 

 

正直、某旧帝大に入っておいて院進学までして世間的には頭のいい側に入るんでしょうけど、僕は昔から頭が悪いし要領の悪い人間でした。

石橋を叩かないと渡れないタイプのくせに、準備が面倒で結局何もせず終わる人間です。まあ要するに社会不適合者ですね。ごまかしごまかしやってきましたけど、院進してついにごまかしきれなくなりました。

 

頭の中がごちゃごちゃしてて上手くはまとめられないんですけど、3月某日、ついに研究室で涙が溢れて止まらなくなりました。今まで家で1人で泣いてた日はありましたけど、外でどうしようもなくなったのは初めてでした。1時間経っても止まりませんでした。

泣きながら午後10時に大学の喫煙所に駆け込んで母親に電話しました。「もう無理。辞めたい」と。母親からは「今のあんたは冷静に考えられてへんから、一回休め。一年休むくらい全然ええから」と言われました。その後、家に帰り、助教に電話して意思を伝えました。助教との電話が終わったのが午後11時半です。まだ涙は止まっていませんでした。

 

正直、世間では精神的な問題に対しての見方はだいぶ良いものになってきていると思います。ですが、自分はそういう問題はどうしても自分の甘えと思っている部分がありました。大学3年前期に一度病み、休んだら即留年の実験の授業以外を全て休むような生活を経験したにもかかわらず。この時は、こんな自分が恥ずかしくて親にすら言えませんでした。

あの時に立ち直れた(と思っているだけで立ち直れていないから今の状態なんですが)のは間違いなくナナシスの2ndライブのおかげです。

 

一度1年前に前兆もあったんですよね。卒論執筆と卒論発表の時。スライドを一度担当教員の前で見せるんですけど、同期は2回くらいで終わったのに僕は4回やり直し。5回目の練習は卒論発表日の前日です。もう時間がないからしょうがなくOKというか、「こうしろ」って指示もらってそれに従っただけです。そりゃ優秀発表賞取れますよ、先生が作ったに等しいんですから。あの時に辞めてりゃよかった。

 

てなわけで、まとまりのない話でしたが、本日担当教員の皆様での会議の結果「一度落ち着いてからスクールカウンセラーに診てもらって、その後意思決定する」ということになっています。なので休学は正式決定ではないです。このブログのタイトルが3/19現在で『大学院を休学することになりそうな話』なのもそういうことです。

ですが、正直大学の方面にある銀行にお金下ろしにいくのもしんどいし、「やっぱり続けます」って言って先生や同期と顔を合わせるのに拒否反応が出るというか。先生の顔を思い出したくても思い出せないんですよね。いやまあ先生方が悪いんじゃなくて自分がゴミなせいで迷惑かけまくっただけなんですけど。

 

とりあえず以上です。

あ、リプライとかボイチャのような、1:1で話せる場所以外で僕にこの話は正直しないでほしいなってのが今の精神状態なのでよろしくお願いします。